TOP > メッセージ > 岩井良明からのメッセージ


ハチャメチャな学生時代。決定的だった応援団時代。 僕は中学・高校を東海中学・高校という私立の中高一貫校で過ごしました。愛知県ではトップクラスの進学校でしたけど、在学中は桜田淳子の私設ファンクラブを作ったりと、勉強以外のことで盛り上がりっぱなしの6年間を過ごしました。私の父親はサラリーマンでしたけど、この学校に子どもを進学させるご家庭は、もともと開業医や事業主の方が多く、東海OBネットワークにおける「社長」率って高いのです。今でも結構濃密な交流があるのですけど、この基盤がその後、僕が始めた事業の大きな支えとなりました。
大学は京都の同志社大学に進んだのですが、これが僕の人生にとって、まさに人生の転機とも言える出来事となりました。入学してすぐに応援団に入団したのです。平成生まれの皆さんの世代にとって大学の応援団って、イメージが希薄かもしれませんね。僕が入団した1979年は、応援団の理不尽でハチャメチャな日常を描いた大人気マンガ『嗚呼!!花の応援団』の連載が終わってまだ数年という頃でしたから、全国的にも応援団がアツかった時代です。僕は学生時代の総仕上げとなる時期を、そんな時代の応援団にどっぷりと漬かり、いいえ、捧げたのです。
応援団はシャバではない世界です。先輩の命令は絶対で「セミになれ」と言われれば、たとえそこが電車の中であろうと手すりにしがみ付き「シャンワシャンワ」と鳴かなければなりません。理不尽極まりない世界ではありますが、その一方で、応援団とは『組織』を学ぶには最高の団体でもあったのです。僕は4回生の時に第七十四代応援団長を拝命しましたが、これは言ってみれば『社長』に就任したことと同じだった、ということに後で気づきました。応援団は大きく3つの部に分かれます。学ランを着てエールを切る我々「リーダー部」、楽器を演奏する「吹奏楽部」、応援の華「チアリーダー部」があり、僕の代で総勢130名もの組織でした。団の運営費の収支、各イベントの運営や活動のスケジューリングや管理など、学生時代のうちにこれらの経験をしたことは、大きな財産となりました。

「元リクルート」というキャリアと経験。
自動車学校の費用を稼ぐために始めた塾講師。
組織の元で働いた経験としては、僕には2つのキャリアがあります。一つは(株)リクルート。営業職でしたが、最初はアルバイトとして入社しました。この時代のリクルートもまた、飛ぶ鳥を落とす勢いで全国的に非常に活気づいていました。企業情報や採用情報を学生に『売る』という新しいビジネスモデルは、メーカーや流通、サービス業など、すべての産業をカバーできることもあって、とにかく全社的に営業力の強化が求められていました。この会社の機運と、僕の性分である反骨心がマッチしました。「絶対、全国No.1の営業成績を取って正社員になってやる!」これだけが僕のモチベーションとなりました。そして、その通り僕は実現し、入社1年目にして全国で一番媒体を売り、狭き関門である正社員登用を果たすことができたのですが、大企業から中小、零細と企業規模を問わず多くの社長様たちとお会いする中で、企業を経営する上で新卒採用がいかに重要であるか、新卒採用の成功がいかに企業にとって利益となるかを目の当たりにしたのです。
もう一つのキャリアは、リクルートを離れ地元に戻ってから就いた学習塾の講師職です。アルバイト講師ですから成績上位層のクラスではなく、どちらかと言えば中位以下の生徒の担任になったのですが、生徒は僕になついてくれて、みるみるうちに生徒たちの成績は上がっていきました。今となっては授業と称して生徒と遊んでばかりいた覚えしかありませんが、講師職への手応えは、かなり強く感じていましたね。しかし、当時勤めていたその塾の社長と大げんかとなり、僕は塾を飛び出してしまったのです。中3のクラスも受け持っていましたから、指導を途中放棄することへの責任も感じていました。半ば勢いからだけの行動となりましたが、僕は、自分の初めての事業となる『大志塾』を立ち上げたのです。ちょうど昭和から平成へと元号が切り替わった1989年のことでした。講師としての僕の評判は、想像以上に地域に広まっていたようで、幸い、開校初年度から生徒数は400名を越えることができました。僕が29歳の時でした。

過去と未来が繋がり始めた。 『大志塾』設立から4年後の1993年には、感性教育の『シーガルスクール』を、さらに2000年3月にはサッカークラブ『モノリスフットボールクラブ』を立ち上げています。他にも多くの教育サービスを開発し提供し続けてきました。1ブランドを多店舗展開しようとは、これっぽっちも思いませんでした。常に“今までやったことがないコト”や“オリジナル”を探してきたのです。これは多分に僕の性分に由来しているのですが、これにつき合わされる社員は大変です。相当に高度な理解力や知識が求められるからです。だからこそ僕は、社員の質的向上を目指しました。それがモノリス独自の新卒採用プログラムの開発へと繋がり、他方では、広告代理事業の設立に発展していったのです。
この2つの展開には『リクルート出身』というキャリアが大きな影響を与えています。当時はまだ、愛知県の片田舎である江南市だけで塾を運営していましたから、いくら大金を払ってリクルートの媒体枠を買って原稿を載せたところで、優秀な学生を採用することは困難でした。しかし僕には、いくつかのヒントがありました。それは『学生に「次の選考に進みたい!選考に残りたい!」と思わせる選考プログラムを提供すること』でした。他の企業の選考会では絶対に受けられないワクワクするような、学生に感動さえ与えられるような選考プログラムの開発です。それは年を重ねるごとに練り上げられ、システム化され、『最終選考まで面接を一切しない選考会』として実を結びました。
そしてもう一つ実を結んだのが広告代理事業です。現在では『株式会社モノリスジャパン』として別会社となり、僕はこの会社の代表取締役社長に就いていますが、やはりこの仕事もリクルート時代に、数多くの採用広告や企業広告を手がけている間に、すっかり広告制作の魅力に取り憑かれてしまったことにルーツがあります。クライアント対象を学習塾や私学、専門学校に絞った『教育専門の広告代理店』というユニークな事業は、設立とともに、瞬く間に全国へと、その営業網を拡大させ、現在に至っています。

まずはモノリスでスゴい「点」を打とう。 2005年、Apple社の創業者であり、当時CEOであったスティーブ・ジョブズ氏がオックスフォード大学で行ったスピーチがあります。今では“伝説の”という言葉がつくほど有名なスピーチですが、彼が卒業生たちに贈った言葉に僕がとても共感した一節があるのです。

【先を見越して点と点を繋ぐことはできない。キミたちにできることは、過去を振り返って点を繋げることだけです。だからこそ、今の点がいつかの将来にできた点と何かのカタチで繋がると信じてください。信じることができさえすれば、たとえ人と違う道を歩んでいるように思う時でも、自信を持って歩き通せるからです】

そう。僕が今やっていることやモノリスが展開している学習塾も、オリジナルな採用活動も、広告代理店も全部、過去に僕自身が通って来た点が未来と繋がってカタチになったものなのです。No.1営業マンになるために東海中学に進学したわけじゃありません。将来、社長になりたかったから応援団に入団したわけじゃありません。広告代理店をやりたくてリクルートに入社したわけでも、ましてや塾を興したわけでもないのです。  
キミがもし今、学校にしろ塾にしろ、「教える仕事」がしたいと思っているなら、あるいは人と関わる仕事に就きたいと思っているなら、このモノリスという会社は、キミの将来にとって大きな「点」となる可能性に満ちた会社です。なぜなら、創業から25年を経てなお現在も、過去の「点」と「点」が繋がり続け、常に新しい何かを生み出し続ける学習塾であり、社風として『社員全員で創る会社』であり続けているからです。人として非常に多くの経験が積める場所だとも言えます。今はまだその価値に気づかなくても、ある時与えられた業務を将来へのチャンスと信じて取り組んでください。必ずいつか別の「点」と繋がり、大きな成功を導くことができるでしょう。僕は、新卒のキミたちに何も一生の仕事として塾講師を選択する必要はないと思っています。すべての社員には、末永く一緒に働いてほしいとは思いますが、モノリスがすべてだとは決して言いません。しかし、キミが社会人として打つ最初の「点」がモノリスであれば、いつかきっと何か「点」と繋がった時、キミにしか成し得ない大きな人生がそこに広がると思うのです。僕の人生がそうだったように。今もそうであるように。